現代フェミニズムが未来の女性に背負わせる「無能の証明」
- 2026.01.25
- 雑記・考え
現代社会において、最も強力な武器をご存じだろうか?
それは、「女性である」という属性だ。
昨今、企業も大学も政界も、まるで憑かれたように「ダイバーシティ」という経典を唱え、数字合わせに奔走している。
理系学部の女子枠新設、管理職の数値目標、政治家のクオーター制導入を求める声、聞こえはいい。
「平等の実現」という崇高な理念を目指していると主張する。
しかし、冷静な観察者なら気づいているはずだ。
これらは「平等」を目指すものではなく、「結果の平等」という名のドーピングであることに。
現在のフェミニズムや社会運動は、かつて求めた「公正な競争」を放棄し、「特権階級としての指定席」を要求する利益団体へと墜落した。
そして皮肉なことに、彼女たちが勝ち取ったその「優遇」こそが、将来の女性たちを「永遠の二流市民」へと突き落とす(看做される)準備を着々と進めているのである。
競争と能力を無視した「下駄」の正体
まず、理系領域の「女子枠」や無理やりな「女性管理職登用」が何を引き起こすか、感情を排してメカニズムを整理しよう。
ある領域(例えば物理学科や企業の役員候補)において、志望者の男女比が8:2だったとする。
ここで、合格者や登用者の比率を無理やり5:5に調整しようとすれば、何が起きるか?
こんな算数は、小学生でもわかるであろう。
男性側は上位の精鋭しか選ばれない激戦区となる一方、女性側は競争倍率が下がり、相対的に能力の低い層まで合格ラインに達することになる。
これを世間では「是正」と呼ぶが、実態は「無能の押し売り」だ。
男性は能力・実績で選抜されるのに対して、女性は能力よりも「性別」を理由にして選抜されることになる。
この構造が固定化されれば、その領域における「女性の平均パフォーマンス」が「男性の平均パフォーマンス」を下回るのは、差別でも偏見でもなく、人為的に作り出された統計的な必然となる。
これは、その領域において、女性は男性よりも劣っている、素養がないとの認識を広げ、固定化させることになる。
フェミニストが製造する「女は使えない」というエビデンス
現代のフェミニストや「意識高い系」の人事は、女性の地位向上のために、「女子枠」「女性管理職の割合目標」といった施策を行っていると信じている。
しかし、彼らが実際にやっていることは、「女性は能力が低い」という偏見を、確固たる「事実」へと書き換える作業に他ならない。
無理やり登用された(実力が伴わない)女性管理職がミスをしたとき、あるいは女子枠で入学した学生が講義についていけなくなったとき、周囲はどう思うだろうか?
「彼女個人の資質の問題だ」と捉えてくれるほど、人間は理性的ではない。
いや、一例であれば、そう思う者もあろうが、多くの事例を経験するに至れば、そうはいられない。
「やっぱり、女にこの仕事は向いていない」
「数合わせで入ってきた奴はこれだから困る」
そんな考えが積上げられる。
こうして、本来であれば存在しなかったはずの「能力差」が可視化され、ステレオタイプは強化される。(能力差が本来であれば存在しなかったとしているのは、多くの平等主義者が男女の能力に差はないとの前提を取っているため、ここではそれに従うこととしてのことだが)
「ガラスの天井」を破るために導入された優遇措置が、「ガラスの天井」は幻想であったとの形で「ガラスの天井」を無き者にするが、「女性は能力が引くい劣った存在である」との認識をもたらす。
男女が対等であるとの考えは、「ガラスの天井」とともに崩れ去る。
優秀な女性への「風評被害」
この構造的愚行の最大の被害者は誰か? それは、割を食った男性たちだけではない。
「下駄など履かなくても実力で勝てる、真に優秀な女性たち」である。彼女たちは、どれだけ圧倒的な成果を出しても、周囲からこう囁かれる運命にある。
「どうせ『女性活用』の枠で昇進したんでしょ?」
「女子枠のおかげで入れたんだよね?」仕方がない。
女性が能力で選抜されたのか、「性別」を理由に選抜されたのかは、見分けがつなかいのだから。
女性はみな能力が劣っているが、女性だから優遇されたと推定されることになる。彼女たちの正当な努力と才能は、「女性優遇」という色眼鏡によって不当に値引きされる。
現在のフェミニズムは、優秀な女性のプライドを「連帯」という名の下に人質に取り、能力不足の女性を引き上げるための踏み台にしていると言っても過言ではない。
未来の女性へのツケ
現代のフェミニズムとその施策は、歴史的な搾取施策となっている。
ただし、それは男性による女性の搾取ではない。 「現在の女性」による、「未来の女性」の搾取だ。
今の女性たちは、能力以上のポスト、身の丈に合わない入学許可という「果実」を、性別を理由に手に入れている。彼女たちはその甘い汁を吸って逃げ切るかもしれない。
しかし、その対価は誰も支払わずに済むのか?
この世にフリーランチはあり得ない。
それは、「女性を採用しても、統計的にパフォーマンスが低いリスクが高い」という、社会的な信用毀損として蓄積されていく。
数十年後、この社会に広まっているのは「女性活躍社会」ではないだろう。
「女性には理系の素養がない」「女性リーダーは機能しない」という、実績に裏打ちされた冷徹な諦観だ。
現在の「特権」という借金の請求書は、私たちの娘や孫の世代に、「正当な評価すら受けられない」という重いペナルティとして送られることになる。
今のフェミニストたちが掲げる勝利の旗は、未来の女性たちの焦土の上にある。
彼女たちに認識する能力はあるのか、いや、気づいたとして、彼女たちは甘い汁を吸うことを止める強さはあるだろうか。
「名誉職」の椅子でふんぞり返る彼女たちに期待する方がおかしなことか。
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