労働という行為はいつから、如何にして地位を向上させ、美徳となったのか
労働といえば古代から近現代までの長い歴史の中では、奴隷の行うもの、資本を持たない労働者階級が行うものとされていた。
つまりは、身分の低いものが行うある種の低位なものとして考えられることが少なくなかった。
しかし、現在に至ってはその労働を通じて自己実現の追求や昇進の階段をかけあがることが素晴らしいことであると認識され、労働の地位は大きく向上したといえる。
むしろ労働をしないものは、ニートや怠け者として軽蔑の対象になってさえいる。
どうして・どのように望ましいものでなかったはずの労働が輝かしいものとしての地位を獲得するに至ったのか、過去の労働の認識を確認しつつ、過程を確認していきたいと思う。
労働の地位と認識
歴史的な労働の地位と認識
古代ギリシャにおける労働と奴隷
まずは古代ギリシャにおける労働の認識にふれておきたいと思う。
古代ギリシャにおいても何も全ての労働や仕事が卑賎なものとして認識されていたわけではない。
弁論家、政治家、将軍、法律家や医者といった国を運営する要職や知的労働のようなものは立派なものとして認識されていた。
一方で現代においても単純労働といわれるような仕事については奴隷が行うものだと認識されることが多かった。
クセノフォンの著書”ソークラテースの思い出”には、当時の労働の認識を表すアリスタルコスとソクラテスの会話が書かれている。
市の内乱がはじまってから親族の女性が大勢彼の家に集まってしまい、こんなにたくさんの人を養うことはできないと嘆くアリスタルコスに対して、ソクラテスはケラモーンという人は多くの人を養いながら豊かに過ごしているが、なぜアリスタルコスの家は一家で餓死しようなんて状況なんだと質問する。
そしてアリスタルコスは「あの男は奴隷を養っているが、私は自由な身分の者を養っている」と答え、ケラモーンは奴隷の職人を養っているがアリスタルコスは労働をするような身分ではない(少なくともこの会話を始めた時点ではそう認識していた)自由民たちを養っており、いつまでも養い続けるのは不可能だという。
この後は餓死するよりも心地よく労働をさせるようにとソクラテスが説くわけなのだが、少なくともソクラテスの助言を受ける前は、自由民が奴隷が行うような労働・仕事に従事させようとはまったく考えていなかったことが伺えるわけである。
その他にも古代ギリシャを代表する叙事詩「イーリアス」「オデュッセイア」といったトロイア戦争の叙事詩環等にも記されているように、古代ギリシャでは敵国を落とした場合には男性は皆殺し、女性や子供は奴隷としてさらっていって召使等として使役させることが普通であった。
そして、家庭内の多くの仕事は奴隷の召使が担うことが多かった。
奴隷に雑用的なことをやらせ、自由民は公共活動・政治関連の活動に携わるといった社会を構成しており、もっぱら現代において知的な職業・知識職とされているようなものを自由民が、それ以外の単純労働のようなもの(職人等も含まれたが)奴隷が行っていた。
自由民にとって奴隷の行う労働は恥辱であった。
ちなみに、現代ギリシャ語で「働く」はΔΟΥΛΕΥΩ(ドゥレウオー)というが、これは古代ギリシャ語の「奴隷である」からきている。
古代ローマにおける労働と奴隷
古代ローマにおいては、金銭を求めた労働を軽蔑し、卑賎なものとみなす傾向にあった。
ただ、古代ローマにおいては豊富な知識を持った人物も奴隷として取引され、会計等の財産管理や教育係をさせていたようである。医者でさえも奴隷の仕事であった。
農業や鉱山での労働を行わせることが多かったようではあるが、知識職を含めてあらゆる職を奴隷が担当するような社会であったといえる。
才能や能力のある奴隷には教育を受けさせることや、国が所有する奴隷に官僚としての仕事に従事させることさえあった。
土地や奴隷を持つ有産階級(ローマ市民権を持つ貴族や富裕層)とその所有もとで奴隷とに分けられ、奴隷があらゆる労働を行っていたといえる。
哲学的知識も持つものも奴隷の家庭教師として使われたりするなど、単純労働・肉体労働だけが卑賎なものとして軽蔑されていたわけではなく、知的労働も含めて労働全体が無産階級・奴隷が行うものとして扱われていた点から古代ギリシャとの違いがみえる。
産業革命期から近代
18世紀後半には、イギリスで産業革命が起き、資本主義社会の基礎が形成されていく。
産業革命期には深刻な労働力不足から、長時間労働の常態化や児童労働など劣悪な労働環境が広がった。
有産階級(資本家階級)は低賃金で労働者を雇い、生産設備を動かして利潤の追求に奔走することとなる。
ここで現代的階級である資本家階級と労働者階級とが明確に誕生する。
もちろん世界的に奴隷制度も存在していたわけだが、産業革命以降の先進国・列強のなかでは有産階級と奴隷階級から資本家階級と労働者階級からなる社会に移り変わっていく。(自由民・市民による奴隷支配から階級支配への移り変わりの段階のはじまりともいえるだろう)
有産階級優位の社会の中で、賃金を対価として労働を提供する労働者の置かれた陰惨な状況を変えて共同社会を実現すべきとするマルクス主義がカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって主張され、社会主義・共産主義的な考え方が広がることにもつながっていく。
資本家による労働者の搾取を解明したマルクス主義が注目を集めたことからもわかるように、この時点で労働者階級として労働を行うことは悲惨で望ましくないこととして認識されていたことは明らかである。
あくまでも”食うために行う望ましくないもの”と認識されていたことだろう。
(近代の労働者だけでなく現代の日本でも多くの労働者は同じように思っているかもしれないが)
近代日本での労働の地位
夏目漱石が”こゝろ”や”それから”で取り上げたことで「高等遊民」というものが注目されたことがある。
高等遊民は、高等教育を受けたにもかかわらず、定職につかないで自由気ままに過ごすもののことであり、夏目漱石自身も高等遊民の生活がしたいと書簡(明治45年2月13日付笹川臨風宛)に記していた。
就職難を背景に流行ったともいえることから、積極的に労働嫌悪的な思想によるものでもない気がするが、高等教育を受けたからには卑賎な仕事はしないといったプライドを反映していたものではあろう。
また、文化人の新しいあり方として高等遊民というものが憧憬の対象ともなったものと思われる。
経済学的な労働の地位と価値
経済学的にみれば労働者から見て労働は望ましくないもの、非効用だと考えられる。
最低限生命維持に必要な賃金を稼ぐために必要な労働時間は働くが、一定程度の所得が得られれば、所得を得るための労働よりも余暇を優先するようになる。
労働者は賃金を得るために労働力を提供しているのであり、労働者側からしてみれば少ない労働力の提供で多くの賃金を受け取ることが望ましい。
つまりは労働力はできるだけ提供したくない、受け取る賃金が同じなら労働時間は短いほど良いといえる。
如何にして労働は美しく望ましいものとなったのか
以上みてきた通り、古代から産業革命後の近代にいたるまでの長い期間において、労働は望ましくないもの、卑賎なものとして考えられることが少なくなかった。
そんな労働が素晴らしいもの、自己実現や人生を豊かにするために役立つものといった認識を得るようになったのはなぜなのか、どのような過程があったのかを考えてみたいと思う。
まず、労働者のおかれている劣悪な状況を改善するために行われた法整備・政治的な革命等をみていきたい。
労働者を保護するための法律としては、1802年にイギリスで制定された工場法から始まる。劣悪な環境にて働く労働者の反抗が強まったことがこの法律の背景にある。
その後、各国でプロレタリア革命とプロレタリア独裁の樹立がみられるようになるなかで(最終的には西側諸国では成功しなかったものの)、各国で労働者保護を目的とした法整備が進むこととなる。
その後1919年にILO第一号条約が採択され、1日8時間の労働時間が定められるなど、現代のものに近しいルール作りが行われ、少なくとも表面的な労働者の状況改善が図られた。
こうして奴隷階級から労働者階級へと労働の役割の担い手が移り変わり、労働者階級が置かれていた環境がいくらか改善したことで以前に比べれば労働というものの”望ましくなさ”は軽減された。
しかし、これだけでは労働を美化するには足りない。あれだけ卑賎なものとして蔑まれていた行為に良い意味を、美しい装飾を施すには足りない。
決め手となったのは、仕事が生活に必要なだけでなく自己定義・アイデンティティの確立や自己実現のために必要であるとする仕事主義(workism)の流布され、仕事・労働を美化し、すべての市民に望ましいものとして受け入れさせることに成功したことである。
Workismを定義したThe Atlanticの記者であるDerek Thompsonは仕事の認識のされかたについて以下のように述べている。(参考記事)
In the past century, the American conception of work has shifted from jobs to careers to callings — from necessity to status to meaning. In an agrarian or early-manufacturing economy, where tens of millions of people perform similar routinized tasks, there are no delusions about the higher purpose of, say, planting corn or screwing bolts: It’s just a job.
The rise of the professional class and corporate bureaucracies in the early 20th century created the modern journey of a career, a narrative arc bending toward a set of precious initials: VP, SVP, CEO.
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過去1世紀に米国の労働の概念は、仕事から職業、そして天職・使命へと変容した。
農業経済、初期製造業経済においては、何千万人という人間がトウモロコシを植えるだとかネジを占めるだとかといった同じようなルーティンワークを行っており、そこに崇高な目的に関する妄想は存在しなかった。
20世紀初期の専門職階級と企業官僚が現在のVP、SVP、CEOといった有難いイニシャルへと向かうキャリアの旅と一連の物語とを創り上げたのである。
(筆者翻訳)
単純労働から専門職や企業官僚の登場に伴い、一部の人間に職業の違いからくる優越感を与え、職業が”その人が何者か”を定義するようになる。そして、それは職業=人生となり、人生における使命は職業を通じて達成されるもの、職業・労働は人生の使命を全うするための崇高な行いとして信仰されるに至ったのである。
こうして、労働することを美徳とするある種の宗教的な思想が社会に浸透にした。
現在の我々は古代ローマ等においては奴隷の仕事とされていたようなものを行い自己実現を成し遂げようとしている。過去であれば自己実現やアイデンティティの確立などとはまったくの無縁であったであろう単純労働までもがである。
職業に貴賎なしの名のものとに、望ましくないものも素晴らしいものだと思い込ませるそんな社会を作り上げた。
私たちは、この流れに従い、労働・職業を通して自己実現や人生の喜びを追求すべきであろうか。それとも労働は生活のためとして割り切り、人生のその他の部分でそれらを追求すべきであろうか。一度自分の生き方と仕事の関係を見つめなおしてみる価値はありそうである。
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