社保改革先送りと近づく介護制度の崩壊

最近は物価高による実質可処分所得が減少してきたことや、少子化対策支援金をきかっけに現役世代の社会保険料負担に対する反感が強まってきている。

しかし、シルバー民主主義に支配された日本政府は現状変更を嫌う高齢者の意に反することはできず、また、高齢者負担を引上げる・現在の既得権益を阻害する形での社会保障制度を改革することはできていない(不幸にも今後もできそうにない)。

現役世代搾取は限界が近づいており、資金面からしても現在の社会保険制度を維持することは非常に難しい状況にあるが、より深刻な問題は、いくら増税しようとも、いくら日銀が金を刷ろうとも解決できない労働力上の制約である。

日本の人口動態の現状

現状の人口動態からしてここから5年ほどで第一次ベビーブーマー世代が80歳前後に達し、ただでさえ不足している介護職に凄まじい逼迫をもたらすこととなる。

これだけでも辛いが、長い目で見れば、2022年10月時点での調査の年齢ごとの人口分布をみれば、0歳の人口は80万人弱となっており、この1学年当たりの人口が80万人を切っている方々が20歳になる頃には、1学年200万人前後の第二次ベビーブーマー世代が70歳前後になっており、介護が必要になり始める。

ここから数年をどうにか耐え抜こうとも、介護制度の崩壊が時間の問題であり、高齢者を介護施設に収容することができず、且つ、自宅で面倒見る家族もいないという未来がすぐそこまで迫ってきている。

認知症患者の増加見通し

認知症患者も増え続けることが明らかとなっており、2040年には800万人に達する見込みである。
介護サービスへの労働力供給の維持がこんなんなことに加えて、要介護者、認知症患者の増加するとなれば、徘徊する高齢者を止める人もいなくなり、多くの高齢者が町を彷徨い、野垂れ死ぬような未来が考えられよう。

現在は施設の中にいる認知症で暴力的になった高齢者も施設に入ることなく町で問題を起こし始めることになるのではないだろうか。

労働力の供給制約と緩和策

労働力の供給制約からも現行制度を維持したままこの問題を解決し、介護制度の崩壊を止めることは不可能である。

どころか、更には国の財政面から介護職に多くの報酬を払い人材を集めることはより難しくなる。
(また、そんなことを使用ものなら介護職に貴重な労働力が奪われ日本経済の衰退が加速するだろう。)
労働力不足の慢性化から売り手市場が継続しているにもかかかわらず、低賃金の介護職で働こうと思う現役世代の減少は加速するであろう。

この問題に終止符を打つためには、以下のような取り組みが必要になるのではないだろうか。

  • 過剰介護の停止、介護サービスの対象を絞ること
  • 施設収容の効率化と訪問介護の原則廃止
  • 過剰医療の停止と自然死の推奨

一つ目の観点では、現在は暴力的な要介護者の受け入れさえも行っているような状況であるが、そのような問題のある要介護者は介護サービスの対象とせず、最低限の居住場所や食事のみ提供し、それ以上のサービスは提供せずに収容し、自身で生命の維持ができなくなるまでの生存権を保障する程度にとどめるべきと考える。
問題のある要介護者に対して貴重な労働力を割いて介護サービスを提供する余裕は今後ないだろう。

2つ目の観点は、僻地や田舎での訪問介護や小規模施設での要介護者へのサービス提供では、効率性の改善には限度があり、一人の労働者がより多くの要介護者を担当する必要が出てくる将来の状況には適切とは思えない。
ある程度の規模と機械的管理の導入による効率化を図り、より少ない介護職員がより多くの要介護者にサービス提供できる環境が必要になろう。(問題のある要介護者は既にこのサービス提供対象には含まれない)

3つ目の観点は、介護というよりは医療の分野かもしれないが、後期高齢者の病死は当然のものであり、寿命であるとの考えから、延命措置ではなく緩和ケアで終末期の対応をすることを一般的な対応とすべきではないだろうか。
これは介護サービスの提供時にも同じで、生命維持に必要な対応に抵抗するような場合には、それはある種の諦めのときと認識すべきなのではなかろうか。

何が何でも生命の維持にこだわるのではなく、自然な流れで亡くなることを許容する、肯定することで、不自然な生命維持をやめることで相当な労働負担を削減することができ野ではないだろうか。

以上の通り、このままでは介護制度が遅かれ早かれ崩壊することは明らかであり、形を変えてでも存続させるとするのであれば、過剰サービスの停止・効率化とある種の諦め・自然な死の受け入れが重要になってくると思われる。